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理事長ブログ 株式会社中広 代表取締役 後藤 一俊

多様性とは?

2019年6月26日

スポーツ競技で、男女別にするのはなぜか。


私は、格差については容認するのだが。差別については妥協を許さない。
もちろん、偏見も認めないし、ましてや性別による否定など認められない。
しかし、スポーツにおける公平性か、差別かの問題に置いては理解が難しい。


2つの例をあげる。
陸上女子800メートルで五輪2連覇中のキャスター・セメンヤ選手(南アフリカ)の
訴えがスポーツ仲裁裁判所で退けられた。同氏はテストステロン値が高い女子の
出場資格を制限する国際陸上競技連盟の新規定は不当だと撤回を求めていたのだが。


テストステロンとは、骨格や筋肉を発達させる、男性に多いホルモンの一種で、
セメンヤ選手は先天的に働きが強いとされている。そのために過去に性別が疑われた。
新規定では該当選手が国際大会に出場する場合、薬などで「通常の女性」の値まで
抑えなければならない。国際陸上競技連盟は、それを「差別的」だと認めながらも
競技の公平性を守る点から「合理的かつ適切な方法」と断定した。


それはそれで、理解できるのだが、
体を強くする物質が多い、それが先天的な要因であったとしたならば、
人為的に操作してはスポーツの精神に反するのではないか。


人間は他者との差があって然るべき。それを生かして鍛錬し高みを目指すのがスポーツです。
「持って生まれた要素はプラスに評価されるべきで、人間はみな同じだと……
違いを否定すれば、記録なんてうまれない」のではないか、その意見を否定はできないだろう。



難しい問題だが、私の単純な発想としては、
そもそも論だが、競技を男女で分ける必要があるのだろうか。
例えば100メートル走を男女関係なく走ってみてはどうか。(競馬は牡牝関係ない)
人類で一番速いものが勝つ。それではダメなのか。
女性と男性は体力に差があるのは歴然、だから競技は男女分けるべき、
その考え方が、間違っているのではないか。


女性差別をなくそうというならば、そうあるべきではないか。
分けることが即ち、差別にはならないのか。そう思う。


もう一つ。これも難しいというか、私的には馬鹿げた話だが、
「多様性を認める社会であるべき」とドイツでサッカーのプロ選手として活躍の
日本選手が「同性愛者」であると告白。「お互いの違いを受け入れる社会になって欲しい」と
訴えた。個人の問題です。同性愛を誰も否定しません。どうぞご自由にです。


彼女はドイツで同性婚が認められ、「多様性と調和」を歌う、
東京五輪に日本代表として出場、「東京五輪で多様性を認める流れが強まっている。
今、変えられなければ、もう変えられない」からだと訴えの理由を語る。


私は、この問題を差別の問題だとは思えない。
東京五輪で女子サッカーの代表になれる実力があれば、同性愛者であろうが、
なかろうが、代表になれる。但し、男性でなければ。


問題をすり替えない方が良い。偏見は許さない。もちろん差別もである。
日本代表選手がどんな性癖であろうが、関係ない。大事なのは、
サッカー選手としての実力である。私に言わせれば、敢えてそう訴えることに、
自らが差別意識を持っているのではないか。


サッカーも男女関係なく、国際試合をすれば良いと思う。Goto
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